スペイン領フィリピンの街へタイムスリップ~ビガン歴史都市/フィリピン・ルソン島
フィリピン北部に残る、スペイン統治時代の歴史都市「ビガン」。
フィリピン国内でもっともスペイン情緒を残す街として、フィリピン人たちにとっても、いつかは訪れたい、そして一度訪れたなら再び訪れたくなる憧れの地であるという。
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スペイン統治下、交易で栄えた町
16世紀にスペインの植民地となり、333年間に渡ってルソン島北部植民地の中心として栄えたといわれている。現在アジアに残るスペイン統治都市の中でもっとも保存状態が良いと言われ、当時のスペイン植民地の繁栄をしのぶことができる。
世界中に残るスペイン植民地は、それぞれの地域色と調和していた魅力を持っているが、ここビガンもまた、その街並みには様々な異国の風味をあわせ持っている。
フィリピン・ビガンに影響を与えた国々
ビガンの地には、多くの中国人華僑が早い時期から移住していたといわれている。町に残るテラコッタ産業は中国から持ち込まれた産業の1つだとされるほか、歴史的建造物に使用される貝殻を使った灯り取り窓なども、中国の技術が応用されていると考えられている。
また、スペインの植民地として、スペインと各地の交易の仲介地点でもあった名残から、ラテン・アメリカのカラーも受け入れている。街で売られる民芸品や帽子などからは、確かにそんな雰囲気を感じ取れる。
そして、当然スペインの影響は非常に色濃く、白い壁の教会や、石畳の通りなどは、スペイン本国でも世界中のスペイン植民地でもよく見かける風景だ。
ビガンと日本
実は、ビガンは日本とも歴史的な関係をもっている。
第二次世界大戦末期、多くのフィリピン都市がそうであったように、ここビガンも日本軍に占領されていた。しかし、戦局は悪化し、アメリカ軍の攻撃が迫り撤退することとなった。
多くの占領都市は、立ち去る日本軍によって破壊されるか、アメリカ軍との戦いによって破壊される運命にあった。しかし、ビガンの日本軍司令官が、美しいビガンの町、フィリピン人の血を持つ自分の家族、そして親しいビガンの友人たちを守るため、ビガンを破壊することなく撤退。町はアメリカ軍の攻撃からも免れたとのこと。
司令官「タカハシ」と彼の部隊は、ルソン島北部の山岳地帯で全滅したが、町を守った日本人「タカハシ」の名は現在もビガンで語り継がれている。
クリソロゴ通り
世界遺産「ビガン歴史都市」の中心となるのが「クリソロゴ通り」と呼ばれるビガン一の目抜き通り。
石畳の狭い道は馬車(カレッサ)がカポカポと走り、両側にしっかりと幅を取る歩道には土産物屋の商品やレストランのテーブルが並べられている。
交易や商業で栄えていた時代に、中国系フィリピン人たちの屋敷が建てられ、それがほぼそのまま今も残されている。
昼間は陽気な通り、夕方からはムードのある通りとなるクリソロゴ通りは、馬車でも歩きでも、朝も昼も夜も、何度訪れても再発見がある、味わい深い通りだ。
ビガンの中洋折衷建物「バハイ・ナ・バト」
クリソロゴ通り沿いに残される「スペイン」+「中国」+「フィリピン」の様式を持つ建造物が「バハイ・ナ・バト」と呼ばれる2階建ての家々だ。
その多くはビガンで栄えた中国系商人やスペイン人たちが暮らしていたらしい。
この土地に最初に訪れ、定住しようとしたスペイン人は、石やレンガを使って家を建てた。しかし、ここは恐ろしく気温も湿度も高い上、台風や地震という強敵もいた。
そこで、地元のフィリピン人たちの住まいである高床式の家から学び、下の階は石作りの倉庫や馬車置き場とし、上の階は木造で軽く過ごしやすい作りとする、「スペイン風高床式住宅」を考え出したのだ。
ドーム型の玄関を持つ石作りの1階部分はまさしくスペイン風。しかし、視線を少し上に上げると、昭和どころか大正? 明治? といった趣の格子窓が目に付く。
まず、大きく切り取られた窓は木枠の格子であり、格子の中が紙ではなく貝ではあるが、色が白いことから、まるで障子のように見える。さらに、その窓枠は引き戸になっている。この窓細工は中国の文化を取り入れたと考えられている。
どことなく懐かしいような気がするのは、同じアジアの文化をそこに感じ取るからだろう。
ビガンの見どころはこれらの残された古い建造物にあるといっても過言ではない。
クリソロゴ通り北にある「観光案内所」など、観光施設となっている建造物のいくつかは、頼めば内部を見学させてくれることもある。
ブルゴス広場
「ブルゴス広場」は、クリソロゴ通りのスタート地点でもある公園で、その周囲もバハイ・ナ・バト様式の建造物が多い。
昼間の公園は、観光客も馬車も子供も揃って、暑さから逃れて涼みに訪れる場所。小さな移動屋台が出て、冷たい飲み物やかき氷、果物などを売っている。
しかし、この広場は夜になるとロマンチックに姿を変え、地元の恋人たちのデートコースとなっている、木々は電飾でライトアップされ、ランタンには灯がともる。
南イロコス州庁舎とビガン市庁舎
聖ポール大聖堂前からサルセド広場を挟んだ向かい側には、コロニアル風の青と白と黄色で塗装された建物がある。こ黄色い方が「州庁舎」で、青い方が「市庁舎」。
建物の脇には、現地語で書かれた十戒の石板が置かれている。
どちらも内部に入ることはできるが、ぶらりと訪れて隅々まで見学ができる雰囲気ではない。見学希望の場合には、あらかじめ連絡を取っておく方がいいだろう。
聖ポール大聖堂
純白の教会は、正面のファサードから入ると真正面に聖壇が見える。
そして、聖壇までは長い聖人画の通路が続いている。柱の1本1本に聖人たちの絵画が飾られていて、美術館のようだ。
最奥の祭壇にはキリスト像を中心に、聖母や聖人たちの像が立並び、さらに背後の壁は絵画がぎっしりとかかっている。
また、入り口近くには聖母のための礼拝所が設けられていて、聖母子像や聖母像などがかなりの数並んでいる。
キリスト縁の像や絵を堪能できる博物館的要素を持つ教会といえそうだ。
大聖堂の周囲は柵で囲まれていて、散策できるようになっている。グルリと周囲を回ると、ここでも十戒の石板に出会う。こちらは英語版。
夜に訪れると、暗闇に白亜の壁と天辺に青く輝く星のような十字架が幻想的だ。
カンポサント教会、バンタイ教会と鐘楼
町には、ほかにもいくつかの教会が残されている。ほとんど観光客が訪れず、地元の人々の祈りの場となっているようだが、もちろん世界遺産の一部であり、見学は可能。
カンポサント教会は、ビガン市民をベストから救った人物ゆかりの教会。
バンタイ教会の鐘楼は、周囲を見張らせる位置にあったことから、戦時中には見張り台として使用されていた。そのため、かなりのダメージを受けている。
内部の階段を上りきれば大小の鐘と、町を見渡すビューに出会える。
ミュージアム
ビガンには、ブルゴス博物館とクリソロゴ博物館がある。
ブルゴス博物館は、聖職者ブルゴスの住居を博物館としてものであり、質素ながら当時の生活の様子をうかがう事のできる生活具などが展示されている、
クリソロゴ博物館は、100年を超える歴史を持つ、ビガンのために尽力した地元の名士フロロ・クリソロゴ議員ゆかりの建造物。
ブルゴスとは異なり、富裕層の生活様式を見学できる。
最後に
世界中の植民地の多くは、戦争の影響を大きく受け、破壊されたり、さまざまな傷痕を残していることが多い。
ここビガンにも傷痕はあるが、町の多くの部分は破壊を免れ、今日も当時の面影を残している。世界遺産に登録されるのも当然だろう。
しかし、そのアクセスの悪さから訪れる人は少なく、まるで観光地らしくないところがビガンの一番の美点でもある。
そこを訪れた人しか感じることのできない感動を、写真、動画、そして言葉で表現してみませんか? あなたの旅の話を聞かせてください。
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