オフリドの教会巡りと大プレスパ湖周辺観光地全部行ってみた

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365の教会が建てられていた町~オフリド(Ohrid)/マケドニア

世界遺産に登録されているものの、観光地として飾ったところのない素朴な雰囲気を持つオフリド。

観光地であるよりも先に住宅地である町は、飾り気がない分居心地がいい。町のあちこちに埋もれている古代遺跡や、修復途中の中世遺跡を探しながら、坂道を上り下りしてみたい。

  

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湖と教会と砦に囲まれた古代都市

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街と同じ名を持つオフリド湖と10kmほど離れた大プレスパ湖、街のあちこちに残る教会たち、そして小高い丘の砦跡。これらが、オフリドの新旧市街地を構成している。

湖と平野に恵まれたオフリドは、古代から豊かな都市として、一時はブルガリア帝国の首都としても機能していたほどだ。

旧市街地には、5世紀以前の遺跡や未確定ながらそれ以前のものだろうと考えられている多くの遺跡があるものの、その保存状態はよくない。形を残しているものはほとんどない状態だ。

しかし、世界遺産都市となったことがきっかけとなり、遺跡たちは順に発掘や再現・修復が行われつつある。オフリドは今後、年々その姿を変えていくだろう。

キリル文字を生んだ宗教都市

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多くの住民を持つ都市であり続けたオフリドだが、政治や経済の中心地としての役割を負っていたのはその長い歴史の中では一時的だ。その歴史のほとんどは、宗教の中心地としての役割を果たしてきた。

特に、東ローマ時代とブルガリア帝国時代には、文化的な中心地として多くの聖職者を生み出した。聖人たちと縁ある地でもある。

その一人である聖クリメントは、今もこの地で使われているキリル文字を完成させたともいわれている。

オフリドの街は観光用の案内図が各方面に建てられているが、その文字は、まずはキリル語で、その下に英語で書かれている。

365の教会とオスマン帝国による破壊

「マケドニアのエルサレム」。10~11世紀頃にブルガリア帝国の首都となったオフリドは、その地位を失ってもなお、宗教的・文化的な地位は持ち続けた。その証拠ともいえるのが、365以上あったといわれる教会群だ。

365という数は、1年の日数と関連性があるのかどうかわからないものの、一つの街に存在する教会数として多いことだけは確かだろう。

過去から現在まで、オフリドに建てられた教会はヨーロッパの大都市の聖堂のような巨大さや豪奢さ、荘厳さなどは持たない。もっとも大きな大聖堂でさえ、親しみを感じさせる大きさと装飾だ。

どの教会も赤レンガを積み重ねて建造され、内部にはイコン画やモザイク画でぎっしりと埋め尽くされていた。その一部は現在も見ることができるが、多くは失われてしまった。その原因となったのは、歴史という時間の経過だけではなく、オスマン帝国による支配と破壊である。

現在のオフリドに残されたもの

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現在のオフリドでは、形の残った遺跡として30か所程度の見どころがある。教会内には、異教徒によって剥がされたのか、上から塗られて消されたのか、修復することができずに消えるままとなった壁画の断片が残されている。

また、異教徒の祈りのために付け加えられた部分もあり、本来の教会の姿に戻った中にポツンと残されていたりもする。

さらに、いくつかの教会はすでに宗教施設としての役割から離れて、観光施設となっているものもある。教会としての形は残っていても、そこに祈りが存在していないため、内部を見学していると違和感を持つこともある。

しかし、オフリドの数々の遺跡は現在進行形で修復作業が進められている。今後、この街と遺跡たちがどのように変化していくのか楽しみなような不安なような気持ちになる。

オフリド湖と大プレスパ湖

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街と同じ名を持つ湖だが、街がオフリドの名を持ったのが9世紀のこと。一方でオフリド湖は古代湖のひとつであり、数万年の間この地を潤してきた。

オフリド湖は平均水深が155mという恐ろしい深さを持つ。それにも関わらず透明度が高く、そして豊かたな湖でもある。

峰々を背景も持つ美しい景色だけでなく、古代からここに住む人々の生活を支えてきた。

現在も、新市街と旧市街の間をつなぐ船の船頭があちらこちらで客引きをし、釣りやクルージングを楽しむためのヨットやボートもある。夏には冷たく澄んだ水の中で泳ぐことも可能だ。

10kmほど上流にある「大プレスパ湖」とは地下でつながっているとされる。「大プレスパ湖」は、最大でも50m程度の水深しかないものの、ギリシャ・アルバニア・マケドニアの国境地帯にあたり、古くは湖に浮かぶ島に町があり修道院も建てられていた。

大プレスパ湖近隣は長く軍事エリアだったため、一時は激戦区となり住む人もいなかったが、近年になって徐々に都市化が進んでいる。特に周囲に残る大自然を味わう公園を訪れるヨーロッパ人たちに人気となっている。

聖ソフィア教会

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旧市街のど真ん中、石畳の坂道を上っていくと現れるのが聖ソフィア教会。どっしりとした安定感と古さと柔らかな色合いが優しい味を出している。

この地にはもともとバシリカが建てられていたが、それを取り壊して10世紀に建造された。この時建てられた低い2階建て部分に対し、さほど高くはないものの塔を持つ聖堂の入り口部分は14世紀に増築されたもの。

そういわれてみると、若干石やレンガの崩れ具合や色の古ぼけ具合が違うような気もする。

内部はいたってシンプルで、白壁にさまざまな宗教画が描き込まれている。なかでも「キリストの昇天」が残る天井部分は保存状態もよく、天使や使徒たちの表情もはっきりと確認できる。

聖パンテレイモン教会

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オフリド湖畔には多くの教会が残っているが、その中の一つでその新しさが目立っているのが聖パンテレイモン教会だ。

オフリドでもかなり古い教会だったが、ごく最近修復され、小さなかわいいお城のような姿で隣に鐘楼を持つ。周囲にはまだ関連遺跡の跡地が発掘現場のような姿のまま残されている。今後どこまで修復再現されるのだろうか?

聖ヨヴァン・カネオ教会

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オフリド湖岸の崖の上に立つ小さな教会。ボートで湖からアプローチすると岩場と林を上り、ローマ遺跡群を抜けてくると、足場の悪い林の間を下ることになる。教会そのものは古く小さいものであり、内部も狭く見学はあっという間に終わってしまうが、カネオ教会の良さはその周囲の景観にある。

湖と周囲の林とのバランスもよければ、教会周囲の手植え感覚の草花や鉢植えも絵になる。どの角度から見ても写真に撮りたくなるフォトジェニックな教会だ。

聖クリメント教会(聖クレメント教会)

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キリル文字の考案者ともされる聖クレメントの棺が置かれている教会で、オフリドに残る教会の中では古いほう。周囲はローマ時代の遺跡に囲まれている。

外壁はさまざまなサイズの石やレンガをうまく組み合わせているほか、丸みのある窓やその上のドーム型の飾りなどが優しい雰囲気を醸し出している。

内部には壁画が多く残されている。地下のカタコンベも見学できる。

古典劇場初期キリスト教聖堂遺跡群

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ローマ時代の円形劇場もまた、オフリドでの見どころ。修復された古典劇場は現在も夏を中心に使用されている。円形のアリーナ席の下には古代の石積みが残されていて歴史を感じさせるが、振り返ると頭上には新興住宅が立ち並んでいる不思議さ。

またこの周囲には、初期キリスト教バジリカ跡がいくつもあり、有名な床モザイクがある。保護のため、直接その上を歩くことはできないが、周囲に作られた見学用の歩道から見下ろすことができる。

サミュエル要塞(ゴルニ・サライ)

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オフリド湖とオフリドの町を360度の視野で見下ろせる場所として人気なのが、サミュエル要塞だ。この地を首都とした第一次ブルガリア帝国皇帝サミュエルの名を持つが、古代から発展していた、ローマへの通り道でもあったとされるオフリドには、それ以前から要塞があったといわれている。現在、町を見下ろせる外壁は、古い要塞の上に建てた新しい要塞を修復したもの。

細い階段を上って振り向けばオフリドの町が、外壁の内側には、当時の砦の台座が残されている。

湖と平野から獲れる新鮮な食材を楽しむ

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オフリド湖では、マスやウナギなどが上がり、レストランで美味しいイタリアンやマケドニアンに変身している。

また、肥沃な平野にも恵まれているため、野菜も新鮮で豊富。サラダやスープなども美味しく、3度の食事が楽しみだ。

最後に

オフリドは、いい意味でまだ観光ズレしていないため、客引きはいてもボラれることは少なく、街で声をかけてくる人々を怪しんだりいぶかしんだりする必要性を感じない。

ただし、急ピッチで進む修復作業や世界遺産ツリズムの浸透の余波はここにも確実に届いている。素朴な味わいを持つこの街がいつまでその味を保ち続けることができるだろうか。

訪れることをすすめたい気持ちと、一人占めしておきたい気持ちの両方を感じてしまう故郷のような感覚を持つ。

そこを訪れた人しか感じることのできない感動を、写真、動画、そして言葉で表現してみませんか?あなたの旅の話を聞かせてください。

 

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Category: 世界遺産
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